2019年12月26日
中国・アジア
研究員
芳賀 裕理
アジア経済を分析していると、気になる国が出てきた。それはカンボジアである。インドシナ半島の国家の中で最も成長率が高いのに、日本のメディアでとり上げられることは少ない。筆者も訪れたことがない。この国の素顔を少しでも知リたくなり、東京・代々木のカンボジア料理店「アンコールワット」を訪れた。
カンボジア料理店「アンコールワット」
カンボジア料理を口にした経験が全くないため、ちょっとドキドキしながら店に入った。でもその心配は杞憂(きゆう)に終わる。店主のゴー・ワンデイさん(49)が「一番人気だから是非お試しください」と勧めてくれた「カニ爪と春雨の炒め」が、とても美味しかったからだ。塩とコショウがほどよく効いていて、食べやすい中華料理といったところだ。しかし、この店が日本人好みの味を提供するまでには、想像を絶するドラマがあった。
ゴー・ワンディさんと名物料理「カニ爪と春雨の炒め」
ゴーさんは1970年に首都プノンペンで生まれ、貿易関係の仕事をしていた父に連れられて何度か日本を訪問。いつしか素材の味を大切にする刺身や天ぷらが好物になっていた。当時のカンボジアはポル・ポト政権の独裁体制下、「飢餓と処刑により、100万人とも200万人とも言われる国民(当時の人口は500万~600万人)が死亡した」(日本の外務省ホームページ)とされるほど、国土が荒廃していた。
1980年、ゴーさんの父は「死んでもいい」という覚悟で祖国を離れ、妻と幼い子ども2人を引き連れて来日。言葉や生活習慣が全く違う島国で、厳しい難民生活が始まった。困難を乗り越え、2年後に父は代々木で小さなカンボジア料理店をオープンした。2016年に父が引退したため、今はゴーさんが店を切り盛りしながら老いた両親を養う。先述した「カニ爪と春雨の炒め」は店の看板料理だが、祖国の味とは全く違うという。本場のものは臭いが強いため、ゴーさんが改良に改良を重ねて日本人の口に合う料理に作り変えたからだ。
魚をベースにした調味料「プラホック」はカンボジアの家庭で普通に使われ、日本でいえば味噌(みそ)のような存在。だけど、この店では絶対に提供しない。やはり臭いがきつくて、「日本人受けしない」からだ。ゴーさんの父は開店当初、本場の味にこだわっていたが、売り上げが伸びなかった。特にリピート率が上がらないため、徐々に日本人向けにアレンジを施すようになった。
郷に入っては郷に従え―。ゴーさん一家の努力のおかげで、東京でも美味しいカンボジア料理を楽しめるようになった。その間、祖国は急成長を遂げていた。国際通貨基金(IMF)によると、2018年の実質GDP 成長率は7.5%を記録し、インドシナ半島ではベトナムやミャンマー、ラオスを上回る。
このため、年2回カンボジアに帰るゴーさんは「国の発展を感じる。中国資本が増えたことで、発展の速度が増した」と指摘する。確かに、中国は「一帯一路」政策の中でカンボジアを要衝に位置付ける。カンボジア支援額では2010年以降、中国が日本を抜いてトップに立つ。このように、フン・セン政権は中国との関係を深めながら、カンボジア経済を牽引している。
その一方で、貧富の差の拡大や野党への弾圧といった長期政権の弊害も目立ち始めている。このため、米国はカンボジアへの制裁(=フン・セン首相らへのビザ発給制限や米国内資産凍結など)に踏み切り、欧州連合(EU)も特恵関税の一時停止などを視野に入れる。日本の対カンボジア政策がどうなるか分からないが、米欧が強硬姿勢を強めれば、影響を受ける可能性も排除できない。
このようにカンボジアを取り巻く国際情勢には影も見られるが、ゴーさんの目には別のものが映っている。「祖国ではみんなが夢を持っています。帰国するたびに勢いを感じます」というのだ。若者の中には複数の大学を卒業したり、母語(=クメール語)のほかに英語、日本語、中国語を学んだりと、「自国の発展に貢献し、海外でも活躍したいという人が多くて活気を感じる」―
これに対し、ゴーさんは日本の若者について「生き生きしていないし、夢を持っていないように感じます。勢いも感じません」と心配そうな表情で話す。何人かの知り合いの日本人は勢いや夢を求め、カンボジアへ旅立ったという。「成熟国VS新興国」と言ってしまえば、それまでか。だが、日本風にアレンジしたカニ爪の味はそれだけではない、「何か」を必死に教えてくれようとしていた。
(写真)竹内典子
RICOH GRⅢ
芳賀 裕理